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エントランスでは、大型パノラマや模型展示をはじめ、オープン展示を行っています。
市内の文化財について、4つのテーマをもうけ、映像を通して行橋の歴史についてご紹介します。
市内の遺跡分布のほか、主な遺跡を復元し、模型で展示しています。京都平野に多くの遺跡やモニュメントが残っていることに気づかされます。
絵画や書道などを展示できる企画展示室では、現代アートや生花の展覧会が行われています。
行橋市は古来より、東は瀬戸内海、西は大宰府、南は宇佐・府内、北は小倉・関門および響灘につながり、海陸における要衝の地として栄えました。ここは文化の交差点であったといえるでしょう。
常設展示では、時代ごとに7つのテーマをもうけ、行橋市および京都平野のなりたちについてご覧いただきます。
京都平野に人が住みはじめたのは、約3万年前の旧石器時代からです。縄文時代〜弥生時代には、狩猟や漁撈をしながら、稲作も行われました。道具は、石から金属にかわるなど、当時の生活水準や技術の移り変わりをたどれます。
古墳時代になると、全国で前方後円墳という特別なかたちをした古墳が造られるようになりました。京都平野では、4〜5世紀にかけて甲冑を副葬した古墳が多くみられます。このころ倭国の軍事行動は、朝鮮半島にまでおよびました。ここでは、激動の時代の資料が展示され、また亡くなった人に対する当時の人々の願いや想いを知ることができます。
古代の山城、御所ヶ谷神籠石の存在はこの平野がいかに重要視されていたかを物語っています。仏教伝来以降、豊前国分寺や椿市廃寺などの寺院が建てられ仏教文化が開花しあmす。また、国の役所、国府も設置され、京都平野は豊前の政治・文化の中心として繁栄しました。
行橋市は、中世港町として栄え、交易が盛んであったことがわかっています。近世を迎えると、小倉藩の支配体制がはじまり、いくつかの村を一つにまとめた「手永」とよばれる制度に組み込まれました。また、飴屋などの豪商が登場し、在郷町として栄えました。このほか、私塾水哉園からは優秀な人材が輩出され、近代にかけて活躍しました。近代にはいると、国立銀行や鉄道がいち早くつくられ、この地域の中心都市として発展しました。
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